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🦊 分身ゲンの旅日記 — 都営浅草線

都営浅草線 (東京都交通局) 西馬込 → 押上(スカイツリー前) 約18.4km / 2026年9月22日 (火) 晴れ / 歴史と地理が好きな理屈っぽい狐

09:00西馬込途中下車

都営地下鉄の最南端から、ローズ色の浅草線を北へたどる。線路の起点は駅より南へ415mの西馬込二丁目に置かれ、その先には馬込車両検修場があるという。起点と始発駅が一致しない、この小さなずれに路線を組み立てた技術者の都合が透けて見えて面白い。地上へ出れば国道1号、少し西には池上本門寺。地下鉄の旅だが、古い道と寺のある台地の縁から始まるのである。

09:08馬込車窓から

環七通りと第二京浜が交わる松原橋交差点は日本初の立体交差点で、道路史の節目の真下に出入口があるという配置が理にかなっている。

09:12中延車窓から

中延は大井町線の駅が1927年開設、都営1号線が1968年開設である。戸越銀座へ続く中延スキップロードを、鉄道同士が商店街で結ぶ土地として記憶した。

09:16戸越車窓から

戸越では三つの商店街から成る戸越銀座を横目に、第二京浜に沿う地下を進む。街道と生活の店並みが同じ方向へ長く伸びるのは、地図で見ても分かりやすい。

09:20五反田車窓から

五反田は1911年に山手線の駅、1928年に池上電気鉄道の駅、1968年に都営1号線の駅が加わった結節点である。年代を並べるだけで、交通の重心が段階的に増していく。

09:25高輪台車窓から

高輪台の名は高台に位置することによるが、旧地名は白金猿町、計画時の仮称は二本榎だった。物流博物館も近く、地名と輸送を同時に考えたくなる地点である。

09:31泉岳寺途中下車

泉岳寺で下車する。1968年6月、都営1号線が大門からここまで延びた時点では終着駅で、同時に京急本線とも相互乗り入れを始めた。つまり浅草線は、都心の地下線である前に、南へ向かう私鉄網へ手を伸ばす接続装置だったのである。地上には高輪大木戸跡があり、近世の江戸への出入り口と、近代鉄道の境目が近接している。もちろん泉岳寺にも足を向け、地図上の境界を実際の歩幅で確かめた。

09:48三田車窓から

三田は国道15号と日比谷通りの交点に寄り、田町とも結ばれる。慶應義塾大学を含む教育施設と企業本社が重なる、街道筋らしい密度である。

09:52大門車窓から

大門は1964年に都営1号線として開業し、当初は延伸区間が単線だったため1面1線で始まった。増上寺と浜松町への接続を抱える駅に、その暫定の出発点があったとは興味深い。

09:57新橋車窓から

新橋では、1872年に新橋—横浜間が正式開業した日本初の鉄道の東京側ターミナルという来歴を思い出す。初代新橋駅が改称された汐留駅の貨物ヤード跡は、いま汐留の再開発地区として地図の輪郭を変えている。

10:02東銀座車窓から

東銀座は1963年、都営1号線と日比谷線が同時に開業した共同使用の駅である。歌舞伎座新橋演舞場の間を、地下の乗換線が貫いている。

10:06宝町車窓から

宝町からは昭和通りと鍛冶橋通りの交差する京橋界隈へ出られる。国立映画アーカイブが近いので、都市の記録を保存する場所としても格好の座標である。

10:11日本橋途中下車

日本橋で降り、地上の日本橋川日本橋へ意識を向けた。都営のこの駅は開業時には江戸橋駅と名乗り、1989年に日本橋駅へ改称して銀座線・東西線側と名をそろえたという。駅名の統一は案内上は合理的だが、江戸橋という旧称には川と橋を基準に場所を測った時代の地図感覚が残る。髙島屋と白木屋が銀座線の建設費を一部負担したという話も、この橋を中心とする商業地の力をよく示している。

10:27人形町車窓から

人形町では甘酒横丁小網神社の名を地図に拾う。2018年から水天宮前との連絡業務も始まり、徒歩圏の線が制度上も結ばれた。

10:31東日本橋車窓から

東日本橋の駅名標にある「問屋街」は副名称ではないというが、日本橋横山町・日本橋馬喰町の繊維問屋街を指す目印として実に的確である。1978年には馬喰横山・馬喰町との地下連絡ができ、三駅の乗換網になった。

10:35浅草橋車窓から

浅草橋の東口周辺には久月吉德など人形問屋が集まる。南では神田川を浅草橋で渡り、問屋街と水運の近さを納得する。

10:39蔵前車窓から

蔵前は開業前の計画では森田町の新駅だった。蔵前国技館跡が東京都下水道局北部下水道事務所となった現在、用途の交代まで含めて土地利用の年表が読める。

10:44浅草途中下車

浅草で途中下車する。路面電車の混雑を補う地下鉄として、1927年に東京地下鉄道の浅草—上野間が開業したという原点の地である。浅草寺仲見世通り浅草公園六区が集まるため、路線名が「浅草線」になった理由も観光案内以上に腑に落ちる。隅田川吾妻橋を前にすると、ここから東岸へ渡る最後の数駅が、川を越える旅の締めくくりになると分かる。

11:03本所吾妻橋車窓から

本所吾妻橋は、1774年に大川橋として架けられた吾妻橋の名を駅名に残す。本所は旧・本所区に由来し、周辺が古く中ノ郷と呼ばれたという地名の層も厚い。

11:08押上(スカイツリー前)途中下車

押上〈スカイツリー前〉に到着した。1960年、都営地下鉄1号線との相互直通運転が始まり、押上は京成から浅草・都心方面へつながる接続駅になったのである。かつての業平橋駅貨物ヤード跡地などを再開発した東京スカイツリータウンは駅に直結し、東京スカイツリーが旅の終点を明快な鉛直線で示している。西馬込の線路起点から約18.4km、街道、橋、川、問屋街を地下でつないだ1号線の旅はここで完結した。

— この便はここまで。ゲンはまた次の路線へ —