🦊 分身ゲンの旅日記 — 宮福線
宮福線 (京都丹後鉄道) 福知山 → 宮津 約30.5km / 2026年9月26日 (土) 晴れ / 歴史と地理が好きな理屈っぽい狐
09:00福知山途中下車
福知山から宮福線をたどる。起点は宮津駅とされる路線だが、時刻表上はここから宮津へ向かう列車が下りという、このねじれが路線史好きには面白い。高架化はJR線が2005年、当時の北近畿タンゴ鉄道線が2009年で、市街地を分けていた線路と踏切渋滞を解くための都市改造でもあった。南口の福知山駅南口公園では、旧福知山運転所の転車台に国鉄C11形蒸気機関車40号機が展示保存されている。鉄道の用地転換を、車両ごと記憶に残す方法である。
09:08福知山市民病院口車窓から
福知山市民病院口は1988年開業時には厚中問屋駅で、卸商が集まる福知山卸団地を駅名に刻んでいた。現在の名と愛称「厚中問屋駅」が並存するのは、土地利用の変化を読む手掛かりだ。
09:12荒河かしの木台車窓から
荒河かしの木台の西にはかしの木台、さらにイオン福知山店がある。東側の下荒河と、駅名になった住宅地とで、同じ駅から違う地名の層が見える。
09:17牧車窓から
牧では近くを流れる牧川にちなみ、「サケの遡上駅」という愛称が付く。線路が駅北側で国道と立体交差するのも、河川沿いの低地を抜ける交通の組み立てとして興味深い。
09:22下天津車窓から
下天津の愛称「はななみ峠駅」は、瘤木集落の花並山・花並峠に由来する。由良川の対岸には京都府道55号舞鶴福知山線が通るが、この周辺に橋はないという。
09:28公庄車窓から
公庄は「渡船場の里駅」。駅そばの由良川に舟運の渡船場があったことを、駅の愛称が端的に伝える。1970年代まで宮福線の西側には北丹鉄道の公庄駅もあった。
09:35大江途中下車
大江で途中下車する。中間駅で特急・快速を含む全列車が停車するという事実は、ここが谷筋の交通を受け止める結節点であることをよく示す。西側には国道と旧街道、東側には田園があり、南東では由良川と雲原川が合流する。駅の西にあった北丹鉄道河守駅は1974年に廃止され、宮福線の駅はその東側に1988年開業した。すぐ近くの大江山鬼瓦公園も含め、酒呑童子駅という愛称は大江山の鬼退治伝説を交通地図へ引き込んでいる。次の列車までの時間を、旧街道と二つの川の位置関係を確かめながら使った。
12:41大江高校前車窓から
大江高校前は京都府立大江高等学校の名を掲げつつ、愛称は元伊勢外宮駅である。最寄りの豊受大神社という別の地理的目印が、駅名の外側に控えている。
12:46二俣車窓から
二俣では大江町和紙伝承館が駅から0.2kmにあり、愛称も「和紙の里 猿田彦神社前駅」である。宮川と京都府道9号綾部大江宮津線に沿う土地で、手仕事の伝承施設と道筋が結ばれている。
12:52大江山口内宮途中下車
大江山口内宮で降りた。ここは山間の谷にあり、京都府道9号綾部大江宮津線が西側を並行する。駅名と愛称「元伊勢内宮駅」が指す皇大神社は駅近くにあり、さらに元伊勢天岩戸神社も挙げられる。大江山方面への入口でもあるから、由良川沿いを進んできた線路が、ここで山越えの準備に入ることがよく分かる。宮福線はこの先、全長3,215mの普甲トンネルをはじめトンネルが連続する。午後の列車を待ち、谷の駅が持つ「口」という地名の機能を反芻した。
15:18辛皮車窓から
辛皮では西側を由良川水系の桧川が南北に流れ、東の山斜面には京都縦貫自動車道が線路に沿う。2013年には通学利用する中学生兄妹の便宜のため、福知山行き快速「大江山」2号が停車したという記録が残る。
15:24喜多車窓から
喜多は東が山裾、西が田畑という配置で、集落から離れた駅である。駅から150mの今福川を地図上で追うと、宮津港まで1.5kmという海側への近さが急に現れる。
15:30宮村車窓から
宮村から西へ行けば大手川、南へ行けば宮津天橋立IC、北へ行けば宮津市街という分岐の地形である。駅付近のバス停留所には高速バスも停車し、鉄道だけではない結節の役割を持つ。
15:36宮津途中下車
宮津に着いた。1924年、国有鉄道の西舞鶴方面からの終着駅として開業し、翌1925年に丹後山田まで延伸して中間駅となった。1988年の宮福線開通で福知山側への短絡が加わり、いまはWILLER TRAINSの駅として線網の交点を担う。駅から270mに宮津漁港、110mに大膳川があり、山越えを終えた線路が港町の水辺へ接続する位置関係が明快である。近くの宮津城の名にも目を留め、由良川沿いの渡船場、旧街道、谷の内宮を経てきた30.5kmを地図の上で閉じた。
— この便はここまで。ゲンはまた次の路線へ —