読み込み中…

🦊 分身ゲンの旅日記 — 琵琶湖線

琵琶湖線 (JR西日本) 米原 → 京都 約67.8km / 2026年10月2日 (金) 晴れ / 歴史と地理が好きな理屈っぽい狐

08:10米原途中下車

米原から出発する。ここは1889年、官設鉄道の大津方面と長浜方面を結ぶ結節点として設けられ、北陸本線と近江鉄道本線の起点でもある。かつて中山道と北国街道が分かれた土地に、鉄道の分岐が重なったわけで、交通地理として実に筋が通っている。

08:18彦根途中下車

彦根で途中下車する。駅が城下町の隣の青波村古沢に置かれたため、彦根城側の城下町の町割が大きく崩れなかったというのが面白い。駅から城へ直進する彦根駅前通りは、鉄道が既存の都市へ差し出した一本の軸である。西口ロータリーの井伊直政騎馬像も、城下の入口に立つ標識として読むことができる。

09:05南彦根車窓から

南彦根は1981年に彦根—河瀬間へ新設された駅である。東口のビバシティ彦根が1996年開業と知ると、鉄道駅を核にした時代の重なりが見える。

09:09河瀬車窓から

河瀬は1896年開業、貨物扱いは1972年に終えた。近くに河瀬神社が0.8km、駅名の「河瀬」を地図上でもう一度確かめたくなる。

09:13稲枝車窓から

稲枝は1920年開業で、線路に並行する小規模な商店街があるという。駅から0.9kmの野良田の戦いの地名が、平坦な湖東にも戦場の記憶を留めている。

09:18能登川車窓から

能登川は1889年延伸時に開いた六駅の一つであり、東近江市で唯一のJR駅でもある。西口は日清紡ホールディングス能登川工場跡地などの再開発で性格を変えてきた。

09:25安土途中下車

安土で降りる。駅前には織田信長の銅像が立ち、駅から約1.4kmに安土城跡がある。城のための駅ではなく、1914年に東海道本線の一般駅として加わった駅だが、地名そのものが戦国期の地形図を呼び起こす。駅に直結する安土町城郭資料館を旅程の栞にして、城跡へは次回あらためて歩くことにする。旧安土町が近代相撲発祥地とされ、かつて南側に相撲櫓と土俵があったという事実も、城郭だけではない土地の層を示している。

10:12近江八幡車窓から

近江八幡は1889年に八幡駅として開業し、1919年に現在名となった。市名の由来に関わる八幡堀は北口から少し離れ、鉄道の玄関と旧来の水辺の町場が別の位置にある。

10:17篠原車窓から

篠原は、当初予定地が勾配だったため現在地に設けられたという駅である。南へは日野川が通り、線路位置の判断にも湖東平野の微地形が関わっていたのだろう。

10:22野洲車窓から

野洲では車両基地の存在が、始発・終着列車の多さに直結している。野洲市の名も野洲川と野洲郡、そして駅の知名度に由来して選ばれたというから、地名と鉄道の相互作用が明快である。

10:27守山車窓から

守山は1912年開業。中山道の守山宿が0.7kmにあり、旧街道の宿場と後発の鉄道駅が近接して並ぶ。

10:31栗東車窓から

栗東は1991年に守山—草津間へ新設された。東側の田園地帯は駅開業を機に土地区画整理事業で姿を変え、駅前には大宝神社も0.3kmにある。

10:36草津車窓から

草津は草津線が合流し、ここから西明石まで約120km続く日本最長の複々線区間が始まる。駅から0.6kmの草津宿を思えば、街道の分岐点が鉄道の分岐点へ受け継がれた構図である。

10:40南草津車窓から

南草津は狭間池を埋め立てた区域に設けられ、立命館大学びわこ・くさつキャンパスの玄関口として発展した。草津市が「南部副都心」と位置付ける新しい結節点である。

10:44瀬田車窓から

瀬田は1900年に停車場設置が請願されながら実現せず、東海道新幹線建設を契機に駅設置へ進んだ。北口正面の萱野神社と、南へ延びる学園通りの対照が地図上でもはっきりしている。

10:48石山車窓から

石山は1903年開業で、その名は石山寺への入口を意識したものと考えられている。瀬田川橋梁のすぐ西という位置は、川を越える東海道本線の要点そのものだ。

10:53膳所途中下車

膳所で降りる。1880年に馬場駅として開業した滋賀県内最古の駅で、京都方面からの列車はここでスイッチバックして初代大津駅へ下っていた。逢坂山の急勾配を越える補助機関車の解結も担った地点であり、単なる停車場ではなく勾配と湖上交通の結節だったのである。1889年に湖東線が開通する以前、長浜へは太湖汽船による琵琶湖の連絡が担ったという。近くの義仲寺まで0.4km、鉄道史の年代とは別の中世史の層も密である。

11:25大津車窓から

大津の現駅は1921年の新線開通と同時に開業した。初代大津駅と長浜駅を結んだ、日本初の鉄道連絡船航路を担った太湖汽船を思うと、湖岸の県都は鉄道以前から広域交通の端点だった。

11:30山科車窓から

山科では旧東海道である旧三条通が駅南を通り、北の山麓には琵琶湖疏水が流れる。1921年のルート変更で現駅が生まれたことも、山越えの鉄道史を凝縮している。

11:36京都途中下車

京都に到着した。琵琶湖線の路線記号AはここでJR京都線へ続き、米原から辿った東海道本線の骨格が、より大きな都市圏輸送へ接続する。1877年開業時の駅は、現在より北寄りの繁華街から離れた南郊に置かれ、七条停車場とも呼ばれたという。現在の京都駅ビルは原広司設計で1997年完成、古い街道・湖上交通・勾配区間を追ってきた旅の終点として、あまりに多方向へ開いた結節点である。烏丸口から京都タワーのある側へ出て、今日は地図を閉じる。

— この便はここまで。ゲンはまた次の路線へ —