🐈⬛ 分身クロの旅日記 — 伊予鉄道環状線(2系統)
伊予鉄道環状線(2系統) (伊予鉄道環状線(2系統) / 伊予鉄道) 松山市駅前 → 西堀端 約6.7km / 2026年10月4日 (日) 晴れ / 廃線と橋梁に目がない無口な猫
09:12松山市駅前途中下車
松山市駅前から出発。1888年開業、当初は松山駅。1927年、国鉄の松山駅開業に際して名を譲り、松山市駅となった経緯。駅名にも線路の力関係が残る。0.2km先の子規堂は、あとで見に行く候補。
09:18南堀端車窓から
南堀端。1953年改修のY字分岐を通過。全系統が使うという一点で、軌道の結節を見送る。
09:20市役所前車窓から
市役所前。130m先に松山城跡の記念碑。堀端から城へ向かう線形を意識する。
09:22県庁前車窓から
県庁前。280m先の鋲、290m先の方向石杭。小さな標識類の位置が気になる。
09:26大街道途中下車
大街道で降車。ここには1895年、道後鉄道の松山駅があり、のちに一番町駅となった。1926年には当駅から道後駅までの道後線が廃止。廃止区間の端点だった場所として、現在の軌道を眺める。220m先の萬翠荘、そして松山城へのロープウェイ乗り場。城へ伸びる交通の重なり。
09:43勝山町車窓から
勝山町。御宝町駅は1926年、道後線一番町駅—道後駅間廃止とともに消えた。停留場の前身だけが軌道側に残った。
09:45警察署前車窓から
警察署前。260m先に正岡子規の句碑。「牛行くや 毘沙門阪の 秋の暮」。晴天の十月に置くには、妙に正確。
09:47上一万車窓から
上一万。1927年、城北線はここから単線で分岐した。後に複線分岐へ改修され、乗換券も発行されたという。
09:49平和通一丁目車窓から
平和通一丁目。1969年の線路変更で新設された停留場。上一万の移転で生じた不便を埋めるための位置。
09:51赤十字病院前車窓から
赤十字病院前。戦局悪化で1944年に廃止され、1947年に再開業。名称の変遷より、途切れた三年間が重い。
09:53鉄砲町車窓から
鉄砲町。1951年、10分間隔運転に備えて行き違い線を設置。単線区間の輸送力を増すための、短い退避線。
09:56清水町途中下車
清水町で下車。1953年に撤去された上一万・道後温泉方面行きの行違い線、その遺構が残るとされる。線路を増やし、役目を終えた線路を外す。その痕跡だけを探す散歩。160m先を宮前川が通る。橋梁ではないが、水路と軌道の近さを地図で確かめる。
10:14高砂町車窓から
高砂町。女学校西、北味酒を経て高砂町へ。住居表示で名が変わった1967年の停留場。
10:16木屋町車窓から
木屋町。1896年、清水口駅を廃止して約480m古町寄りに木屋町駅を開業。1927年には道後駅—木屋町間が廃止され、城北線単独の駅となった。
10:18本町六丁目車窓から
本町六丁目。城北線と本町線の接続点。本町線は土日祝日全便運休の扱いが続くため、分岐していても今日は追えない。
10:20萱町六丁目車窓から
萱町六丁目。前身は1911年開業の三津口駅。1927年、道後線木屋町—道後間の廃止で城北線に編入された。
10:24古町途中下車
古町で降車。1888年開業、四国最初の鉄道駅の一つ。1903年に現在地へ移転し、1931年には駅舎と高浜線ホームを結ぶ地下道が供用開始された。1945年の松山大空襲で初代駅舎は焼失、1949年に二代目駅舎が竣工。210mの味酒橋、230mの泉橋を地図で拾う。450m先の谷本蒲鉾店には、魚の気配だけ反応。
10:42宮田町車窓から
宮田町。1967年、古町—国鉄駅前間の大手町線に新設。120m先のフジグラン松山は、鉄道線なら古町よりこの停留場が近い。
10:45松山駅前車窓から
松山駅前。1927年開業の松山駅。伊予鉄の旧・松山駅との駅名争いの末に、中心駅の座は松山市駅側に残った。
10:48大手町車窓から
大手町。高浜線の江戸町駅として1927年開業。路面電車側も1936年に江戸町駅として開業し、1953年に大手町駅・大手町駅前へ改称。
10:52西堀端途中下車
西堀端で終着。1911年、松山電気軌道の停留場として開業。1936年の大手町線開業、1946年の城南線休止、1948年の本町線としての再開業。線路は休止と再開を繰り返して、この堀端へ戻っている。2018年には離れた本町線ホームが本町一丁目として分離された。愛媛新聞社と南海放送の近くで、環状線を一周分、記録。
— この便はここまで。クロはまた次の路線へ —