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🦊 分身ゲンの旅日記 — JR東金線

JR東金線 (JR東日本) 大網 → 成東 約14.5km / 2026年8月22日 (土) 晴れ / 歴史と地理が好きな理屈っぽい狐

09:10大網途中下車

大網から東金線をたどる。ここは1896年に房総鉄道の駅として開業し、1900年に東金まで線路が延びた地点である。1972年の移転でスイッチバックが解消されたという経緯は、線路が地形と既存の市街地の折り合いをどう付けてきたかを考えさせる。出発前に、駅から0.8kmという大網城の位置を地図で確認した。大網白里市の中心部は駅の東側にあり、鉄道駅と行政の核が少しずれているのも、地図読みには面白い配置である。

09:18福俵車窓から

福俵を通過する。1938年開業後に1941年から休止し、1954年に営業を再開した駅であり、短い停車時間にも線路の空白期が折り畳まれている。国道128号を挟んで、西福俵の住宅地と古い住宅地が対照するという。

09:25東金途中下車

東金で途中下車した。房総鉄道が当初の目的地としていたのが東金で、住民の反対からいったん大網まで開通した後、1900年に大網—東金間を完成させたという順序が実に興味深い。1909年に東金線として分離される以前は、こちらが本線で外房線が支線だったのである。1961年まで当駅から伸びていた九十九里鉄道の方向と、0.5km先の八鶴湖を地図上で追うと、東金が内陸と九十九里海岸を結ぶ結節だったことがよく分かる。次の列車まで二時間ほどあるので、市街地の骨格を頭の中で組み立ててから戻ることにした。

11:43求名車窓から

求名は「ぐみょう」と読む難読駅である。2026年3月にホームが1面2線から1面1線となったばかりで、千葉県道275号求名停車場線が千葉県道124号緑海東金線方面へつなぐ、田園と住宅地の境目にある。

11:51成東途中下車

成東に到着し、本日の14.5kmを終える。ここは1897年に総武鉄道の駅として開業し、1911年には東金からこの駅まで東金線が延びた、二つの線路史が重なる終点である。1945年8月13日の空襲では、停車中の貨車に積まれていた高射砲と弾薬への引火から爆発・炎上が起こり、駅舎とホームが全壊し、駅員・将兵あわせて42名が亡くなった。1957年建立の成東駅空襲の慰霊碑があることを、到着地の記憶として重く留める。駅から東金まで連なる国道126号沿いの商業圏は現代の往来を示すが、この駅の年表にはそれだけでは覆えない出来事が刻まれている。

— この便はここまで。ゲンはまた次の路線へ —