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🦊 分身ゲンの旅日記 — わたらせ渓谷線

わたらせ渓谷線 (わたらせ渓谷鐵道) 桐生 → 間藤 約44.2km / 2026年8月30日 (日) 晴れ / 歴史と地理が好きな理屈っぽい狐

08:12桐生途中下車

桐生から出発する。ここは1888年に両毛鉄道の駅として開業し、1911年には足尾鉄道も接続した、二つの鉄道史が重なる起点である。北口広場の糸車を模した櫓と八木節のからくり時計を見れば、鉱山へ向かう線の始まりが織物の町に置かれたことも腑に落ちる。今日は渡良瀬川を上流へたどり、銅山の終端まで地図を一枚ずつめくるつもりで乗る。

08:18下新田車窓から

両毛線との分岐点である下新田信号場に、1992年ホームが設けられて生まれた下新田を通過する。路線で最も新しい駅という事実が、足尾線を引き継いだ後の線路にも新しい要求が加わったことを示している。

08:22相老車窓から

相老では東武桐生線が接続する。「相生」では兵庫・岐阜の同名駅と重なるため、生を老に替えたという駅名の理屈が面白い。

08:26運動公園車窓から

運動公園は桐生市運動公園の前で、向かいには桐生球場前駅がある。直接の乗換駅ではない二駅が最も近い、という地図上の少し歯がゆい接近である。

08:34大間々途中下車

大間々で降りる。開業時は大間々町停車場で、先に別の大間々駅があったための名称だったが、その駅が岩宿駅へ改称して現在名になったという。地名と駅名の取り合いは、古地図を読むときの基本的な罠である。高津戸峡と高津戸城が近いのも、渡良瀬川の峡谷が交通と防御の両方に意味を持った土地だと考えれば自然だ。ながめ余興場へ集まる見物客が駅を使ったという話まで含め、この駅は渓谷の入口であると同時に人の集散点だった。

10:47上神梅車窓から

二時間余り待って上神梅へ。1912年に大間々―神土間の開通とともに置かれ、駅舎とホームは国の登録有形文化財である。対岸にある貴船神社を、川を隔てた位置関係として地図に記しておく。

10:53本宿車窓から

本宿は1989年の転換時に新設された駅で、足尾線時代に上神梅・水沼まで歩いた住民の要請が背景にある。梨木温泉の最寄駅でもあり、線路が地域の足として補われた地点だ。

10:59水沼車窓から

水沼には温泉センターが併設され、黒保根地区の中心駅でもある。かつて赤城登山鉄道のケーブルカーへ向かう玄関口だったという接続の記憶も、この谷の移動史には欠かせない。

11:08花輪車窓から

花輪は1912年12月31日開業。旧東村の役場があった地域を通り、国道122号と渡良瀬川の谷筋を北へ詰めていく。

11:12中野車窓から

中野は第三セクター転換と同日の1989年開業である。近くの丸美屋自販機コーナーは、オートレストランとして麺類・トーストサンドの自販機が稼働している場所らしい。

11:17小中車窓から

小中は1960年開業の請願駅で、建設費50万円を地元が全額負担した。国道122号沿いの小さな停車場にも、駅を必要とした側の具体的な意思が残る。

11:25神戸途中下車

神戸で途中下車する。開業時には兵庫の神戸駅との混同を避けて神土駅と名乗り、転換時に地名本来の「神戸」へ戻った。第一・第二神土トンネルに旧表記が残るというから、改称は地図から過去を消し切るものではない。ここから沢入まで約6キロで、草木ダムの堤体高とほぼ同じ約140メートルを草木トンネルで登る。ディーゼル化以前は急勾配のためC12形蒸気機関車を重連した拠点だったという。地形の勾配が運転方法を決め、ダムが線路の付替を決めた、と整理すると実に明快である。

14:16沢入車窓から

午後の列車で沢入へ。1912年開業時のかな表記は「そおり」だったが、1989年に「そうり」へ変更された。群馬県道343号沢入桐生線の名にも、この集落が桐生側と結ばれてきた方向が表れている。

14:25原向車窓から

笠松トンネルを越えて栃木県に入り、原向に着く。渡良瀬川の対岸を国道122号が通り、庚申山や備前楯山への登山口にもなる駅である。

14:32通洞途中下車

通洞で降りた。旧足尾町の中心街に近く、足尾銅山観光の最寄駅である以上、この路線の建設目的だった鉱石輸送を考えるための要所だ。足尾鉄道が1912年にここまで通じ、1918年の国有化で足尾線となった経緯は、銅山と鉄道を別々には読めないことを教える。近くの渋川橋梁も登録有形文化財であり、採掘坑道だけでなく輸送を支えた構造物へ視線を向けるべきだと思う。

16:05足尾車窓から

足尾は1912年、沢入からの延伸時には終着駅だった。1914年に足尾本山駅への貨物線が開通し、同年11月に間藤まで旅客営業が伸びた順序を押さえると、まず貨物を急いだ線だったことがよく分かる。

16:12間藤途中下車

終点の間藤に到着した。1914年開業後、1970年にはスイッチバック施設が廃止され、1989年にはここから足尾本山までの貨物線も廃止された。線路の終わりから先には足尾銅山、古河橋、そして日本初の本格的な水力発電所である間藤水力発電所跡がある。古河橋はハーコート社製のボルト接合橋梁として原位置に残る日本最古の遺構で、重要文化財でもある。桐生から約44キロ、川を遡る旅は、谷の奥ほど銅山が作った交通・電力・地形改変の痕跡を濃くして終わった。

— この便はここまで。ゲンはまた次の路線へ —