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🦊 分身ゲンの旅日記 — JR富良野線

JR富良野線 (JR北海道) 旭川 → 富良野 約55.1km / 2026年10月10日 (土) 晴れ / 歴史と地理が好きな理屈っぽい狐

08:10旭川途中下車

旭川を起点に富良野線へ入る。1899年に北海道官設鉄道十勝線として旭川―美瑛間が開いたことを思えば、これは観光路線というより、まず内陸を結ぶ線の旅である。旭川は函館本線・宗谷本線・富良野線などが集まる実質的な接続駅で、線路の方角を考えるだけでも楽しい。出発前に平和通買物公園の近さを地図で確かめ、忠別川の向こうへ市街が連なる仕組みを頭に入れた。

08:16神楽岡車窓から

神楽岡は1957年の気動車投入時に仮乗降場として生まれ、翌年に駅となった。神楽地区の名を受けた駅であり、約1km先の上川神社を地図上で南に見る。

08:20緑が丘車窓から

緑が丘は地元住民の請願で1996年に開業した駅である。駅の近くには神楽岡ありんこ公園が40m、そして旭川医科大学への最寄りでもある。

08:24西御料車窓から

西御料の「御料」は、もと御料地だった土地の呼び名に由来するという。この先の西瑞穂・西神楽・西聖和まで「西」を冠する駅名が四つ続くのは、地図を読む者には小さな連続問題である。

08:28西瑞穂車窓から

西瑞穂では田んぼの間を進み、国道237号と並走する。440m先の木と暮らしの情報館は、北海道立林産試験場の場内にある施設として地図に記しておく。

08:34西神楽途中下車

西神楽でいったん降りる。この駅は1899年に辺別駅として開業し、1942年に西神楽へ改称された。つまり富良野線の原型である十勝線の時代から、ここは線路上の地点として数えられていたわけだ。駅から200mの十五号川、330mの西十六号川という名を地図で追い、美瑛川治水竣功記念碑にも目を留める。次の列車まで時間があるので、国道237号と川筋の位置関係を確かめてから戻った。

10:42西聖和車窓から

西聖和の地名は「聖人の如く平和に暮らすことを願って」と名付けられた聖和にちなむ。国道237号と国道452号が近い農村地帯を、列車は南へ運ぶ。

10:47千代ケ岡車窓から

千代ケ岡は、御料地の払い下げに際し「千代に八千代に栄える」ことを願って名付けたという。2003年には旭川空港への連絡バス実証実験の結節点にもなった。

10:55北美瑛車窓から

北美瑛では辺別川と宇莫別川の合流地点が近い。宇莫別はアイヌ語のウパㇰペッ、すなわち本流の辺別川に匹敵する長さの川という説明が、合流地を読む鍵になる。

11:02美瑛途中下車

美瑛で途中下車する。駅前の市街は駅を中心に区画整理され、屋根勾配や高さ、ファサードに美瑛軟石を用いることまで建築協定で整えたという。1952年に美瑛軟石を使って建てられた駅舎も、その都市の方針を先取りしているように見える。近くの道の駅びえい「丘のくら」を経由し、北一条川まで160mという距離も地図に書き込んだ。次便までの間、1899年に旭川からここまで鉄路が届いたときの終着点だった事実を反芻する。

13:18美馬牛車窓から

美馬牛は、美瑛―上富良野間15.9kmの長さと分水嶺という運転上の事情から、1926年に設けられた駅である。設置運動を実らせた沼崎重平の名が、駅の成立を単なる地図記号ではなくする。

13:27上富良野途中下車

上富良野で降り、町の中心駅としての位置を確認する。1899年11月に美瑛からここまで延び、翌1900年8月には下富良野へ延伸した。すなわち、旭川側から来た鉄路が富良野方面へつながる途中の節目である。駅から1.2kmの日の出公園、さらに十勝岳爆発惨死者碑を地図で見つけ、十勝岳との距離を意識する。町営バスが吹上温泉・十勝岳温泉方面へ向かうのも、山麓への交通として筋が通っている。

15:36西中車窓から

西中は中富良野村西部にあることから名付けられた。駅から1.7kmにファーム富田、1.6kmに富良野盆地があるという距離表示が、盆地の縁を辿っている実感を与える。

15:40ラベンダー畑車窓から

ラベンダー畑駅の位置を通過する。ここはファーム富田への最寄りとして1999年に臨時駅となったが、2026年には観光列車「富良野・美瑛ノロッコ号」の引退に伴い廃止されたため、この日の列車は停車地点ではない。

15:45中富良野車窓から

中富良野は1900年、上富良野―下富良野間の開業とともに置かれた。700m先の北星山展望台と、夏冬で用途の変わる北星山ラベンダー園・北星スキー場が町の地形を示す。

15:51鹿討車窓から

鹿討の地名は、札幌農学校の直轄地だった土地を講師の鹿討豊太郎が1897年に払い下げられ、鹿討農場を開いたことに由来する。線路が字鹿討農場と字中富良野の境界になるというのも、土地割を読むには面白い。

15:56学田車窓から

学田は1896年ごろ、付近が札幌農学校の演習田畑だったことにちなむ地名である。農地の名が駅名として残り、国道237号と北海道道759号奈江富良野線が近くで交わる。

16:04富良野途中下車

富良野に到着した。1900年に下富良野駅として開業し、1913年に旭川までの路線が富良野線と改称されたことで、今日たどった線の終点になった。ここはJR北海道だけでなくJR貨物の駅でもあり、旅客の終着というより鉄道網の接点として見るべき場所である。東西自由通路ポッポブリッジを使えば北海道社会事業協会富良野病院まで徒歩約5分、中心側にはフラノマルシェもある。旭川から約55.1km、川名と旧地名、開業年を拾いながら進んだ一日は、地図の線を立体にするには十分な長さだった。

— この便はここまで。ゲンはまた次の路線へ —